使徒ヤコブを祀る大聖堂は、ローマ・エルサレムと並ぶ三大聖地のひとつであり、イベリア半島にあるロマネスク美術の代表的建物です。
毎年、多数の巡礼者がそれぞれのルートを進んでサンティアゴ・デ・コンポステーラまで巡礼します。宗教的な理由で訪れる人もいれば、建築・芸術作品である大聖堂を一目見たいと来る人もいます。 サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街と同様に、大聖堂は重要文化財に指定されています。
使徒ヤコブを祀る大聖堂は、ローマ・エルサレムと並ぶ三大聖地のひとつであり、イベリア半島にあるロマネスク美術の代表的建物です。
毎年、多数の巡礼者がそれぞれのルートを進んでサンティアゴ・デ・コンポステーラまで巡礼します。宗教的な理由で訪れる人もいれば、建築・芸術作品である大聖堂を一目見たいと来る人もいます。 サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街と同様に、大聖堂は重要文化財に指定されています。
使徒ヤコブの遺骸は、常にサンティアゴ大聖堂に埋葬されていたわけではありません。
聖ヤコブのお墓が発見された後、アストゥリアス王国のアルフォンソ2世は、使徒たち建設された大理石の祭壇があった場所に石と泥で小さな礼拝堂を建設しました。
当初の教会は、列柱を持つ簡素な1階建ての建物で、花崗岩で作られたポーチがありました。
アルフォンソ3世の時代、聖ヤコブの墓を訪れる巡礼者が増えると、古い教会の祭壇回りにさらに大きな教会を建設します。
10世紀末、イスラム教徒軍がサンティアゴを襲撃し、プレ・ロマネスク様式の建物を倒壊します。 奇跡的に、ヤコブの墓には手を出さなかったため、その後とも大勢の巡礼者が参拝のためにサンティアゴを訪れました。
1075年、アルフォンソ6世命により、ロマネスク様式の教会の建設が始まります。当時の大司教はディエゴ・ペラエスでしたが、その数年後に、有名なディエゴ・ヘルミレスに変わります。
工事は何年もの間延長されました。カリクストゥス写本は、1122年に最後の石が置かれたと記載しています。 この時から、アルフォンソ6世とヘルミレス大司教は巡礼を奨励する活動を熱心に行います。
ロマネスク様式の聖堂として建築されましたが、17世紀に外観はバロック様式の作品に変更されました。 主に、中央祭壇とドーム周辺、聖門、そして最後に輝かしいオブラドイロ正門が作られました。
内部は、ラテン十字の平面に三廊式です。 外陣の高さは22m、天井がさらに高い中央ドーム部分は32mにまで到達します。 スペインで最も大きいロマネスク様式の教会堂です。
大聖堂内部には全部で16の礼拝堂があり、中にはオリジナルのロマネスク様式を残したものがあります。 16の礼拝堂は、周歩廊と翼廊部分に見られ、銀細工の門とその横にあるクラビホの戦いを描いたタンパンにたどり着きます。
巡礼者の姿をした聖ヤコブが中央に座る中央祭壇は、天使の像で飾られた印象的な天蓋により保護されているかのような印象を受けます。天蓋の上部には馬に乗ったヤコブがいます。
中央祭壇の他にも、 サンティアゴ大聖堂で最も重要、かつ特徴的なものを2つ見ることができます。 ひとつは、中世から聖年の年に巡礼者や大聖堂を訪れる者を清めたボタフメイロとマエストロ・マテオにより12世紀に造られた傑作、栄光の門があります。
大聖堂の地下部分には、大聖堂博物館や16世紀に建てられた回廊に、栄光の門のすぐ下に位置する地下礼拝堂があり、ロマネスク・ゴシック様式の遺跡を見学することができます。
巨大な大聖堂の周りを囲む複数の広場
銀細工職人の広場は、当時ここで銀を加工する職人が働いていたことからつけられた名前で、この広場に面した銀細工の門は、現在まで残っているロマネスク様式の唯一の門です。
銀細工の門を手前に右側へ回った場所に、聖門があるキンターナ広場があります。他にも、ぶどう棚の家やサン・パイオ・デ・アンテアルターレス修道院があります。
最後に、大聖堂の北側にあるのがインマクラーダ広場です。ジェット(スペイン語でアサバチェ)の加工職人が働いていたことからアサバチェリア広場ともよばれています。
大聖堂の上部、屋根を忘れてはいけません。 ヘルミレス宮殿からスタートし、大聖堂の屋根まで上り、屋根の上を歩けるツアー(有料、要事前予約)があります。 大聖堂の屋根から見下ろすサンティアゴ旧市街の景色は圧巻です。巡礼者・観光客にも人気のツアーです。
サンティアゴ大聖堂の素晴らしさを実際に見てみたくなったら あなたのカミーノを計画する時です。長い距離の巡礼を体験し、大聖堂を目の前にした時の達成感は非常に大きいです。
2019~2020年までは大聖堂の修復工事により、大部分が足場でおおわれていますが、聖ヤコブ像への抱擁とお墓を見ることは可能です。