フィニステーレへの道を巡礼する理由
このルートは、サンティアゴ巡礼の最終章です。サンティアゴからフィステーラ(スペイン語表記はフィニステーレ、さらにムシアまで進むか、フィステーラから再びサンティアゴを目指す 2つの方法があります。 どのルートを選ぶかはあなた次第です! 標識は完備しており、サンティアゴ市内のサン・ロレンソ公園にひとつ目のホタテ貝の標識を見ることができます。
冒頭で説明したように、このルートはフィステーラからサンティアゴへ向かって歩く巡礼者たちがいます。 逆方向に歩く巡礼者とすれ違っても驚かないでください。 フィニステーレからムシア、またはその逆方向でも問題なく歩いて移動することができます。非常に多くの巡礼者は、海の景色が素晴らしいコスタ・ダ・モルテ(死の海岸) を訪れています。.
歴史
フィステーラ(ラテン語で地の果てを意味する)の起源は、サンティアゴ巡礼 の始まりよりももっと古くなります。 フィステーラには、聖ヤコブの遺体を運んだ弟子たちがヤコブの遺体を埋葬するために向かったとされるガリシアの古い都市Dugium(ドゥヒウム)があったされ、Dugiumとアトランティスとの関係の可能性を主張する多くの研究者がいます。 中世初期までフィニステーレ岬が世界の果て だと信じられていたことからこの地方が選ばれたのは単なる偶然ではありませんでした。
この土地への定住者が増え、日々大西洋の海から『再生する』太陽信仰も生まれます。 宇宙の神『アラ・ソリス』を崇める重要な祭壇などが作られ、ケルト人やローマ人がこの教会へ参拝しました。 伝説によると、異教の信仰場所であるとして聖ヤコブがこの教会を取り壊すように命じた と伝えています。 村の住民が反対すると、大規模な洪水がアラ・ソリスをはじめ村全体を壊滅します。2頭の雄牛だけが洪水から逃げきることに成功しますが、 罰としてすぐさま石に変えられますが、これらの石はボイス・デ・グレス(Bois de Gures)諸島を形成しています。
聖ヤコブの遺骸を運んだ聖ヤコブの弟子2人は、ヤコブを埋葬する許可を得るためにフィステーラにあるドゥイオ(Duio)を訪れました。 土地の支配者は、弟子たちに不信感を抱いて牢屋に入れますが、弟子たちはうまく逃げだしイリア・フラビア(Iria Flavia)へ向けて新たに旅を続けました。
サンティアゴを起点とする唯一の道は、現代に作られたルートと考える人が多いですが、聖ヤコブと密接な関わりがある道です。 フィステーラのサン・ギジェルモ礼拝堂で行われた最近の発掘作業で、この教会と聖ヤコブと深いかかわりがあったことがわかっています。
フィステーラと同様、近くにあるムシアも聖ヤコブに関連する奇跡が起こった場所です。 フィステーラのアラ・ソリスを破壊した後、ヤコブはキリストの教えを住民に広めるためにムシアへ移動します。
伝説によると、現在教会がある岩の上に座っていたヤコブの前に小さな舟にのった聖母マリアが海から彼に近づいて異教の地でキリストの教えを広めるヤコブを勇気づけました。 この時聖母マリアが乗っていた舟は、有名な揺れる石(Pedra de Abalar)だったと信じられています。揺れる石の横には腰の石(Pedra dos Cadrís)と舵の石(Pedra de Timon)もあります。 現在、腰の石の下を繰り返し9回くぐると背中や腰の痛みが治るといわれています。
フィステーラへの道の行程
行程
経路
Km
インフォメーション
行程1
サンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela) – ネグレイラ(Negreira)
24,2
行程 2
ネグレイラ(Negreira) – オルベイロア(Olveiroa)
21,4
行程3
オルベイロア(Olveiroa) – フィステーラ(Fisterra)
20,4
行程 3B
オルベイロア(Olveiroa) – ムシア(Muxía)
23,9
行程 4
ムシア(Muxía) – フィステーラ(Fisterra)
21,6
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ネグレイラのマセイラ橋
マセイラ橋とその周辺の景色は中世の外観を残しており、このルートの中で最も魅力的な場所のひとつです。
パソ・デ・コトン
中世の要塞ですが、現在はネグレイラ市に通じる道となっています。
ビルヘン・デ・ラ・バルカ教会
この教会の名前は、使徒ヤコブの前に石の舟(バルカ)に乗った聖母が現れたと伝える神話がもとになっています。
フィステーラ岬の灯台
古代ローマ人が世界の果てであると考えた岬に建てられた灯台。現在、多くの巡礼者がこの岬から海に沈む夕日を見て巡礼の旅を終了します。